名で、その言葉の響きがずっと頭の片隅にあったから。もちろんドラマとは何の関係もない店であることは分かっていたけど、居酒屋選びではフィーリングも大事。私は色とりどりの看板が宵闇を照らす小路を鼻歌交じりに進み、目当ての店をめざした。「いらっしゃい、お一人様?」「予約した者です」「えーと、オットーさんかな」「そうです」「お待ちしてました。名札が置いてある席へどうぞ」3 迷わずたどり着くことができ、喜び勇んで突入した酒どこべらぼうの店内は、木をふんだんに使った古民家のような空間になっていた。間口に対して奥行きがあり、小上がりの仕切りを外せば大人数の宴会もできそうな造り。壁には日本画が飾られていたが、舌を出した顔の絵がひときわ目を引いた。看板やのれんにも同じ絵が描かれていたけど、有名な作品なのだろうか。そして席には手書きで〟otto山(さん)〟と書かれた紙のプレートが。こういう心遣い、すごくうれ妻が秋田県能代市で開催される懇親会込みのイベントに参加するというので、車で送ることにした。本人は電車で行って帰ってくるつもりだったらしいが、調べると早く着きすぎたり間に合わなかったり。ちょうどいい便がない。イベントの日、私は予定がポッカリ空いていたこともあり、たまには奥さん孝行をと送迎を申し出たのだが……。ムフフ、ここで妙案を思いついてしまうのである。「君がイベントに参加している間、能代の居酒屋をのぞいてみてもいいかな」「お酒飲むの? 私はノンアルで平気だけど、夜の高速で運転するのだけはイヤだからね(妻は車で秋田市の外に出たことがほとんどない)」「翌日二人とも休みだから泊まろうよ。次の日、県北巡りをして帰ってくるというのはどう?」「なんだかそちらに都合のいい条件を飲まされている気がするけど、ま、いっか」「決まりだね」能代市は秋田県の北西部に位置し、北は世界遺産の白神山地、西は日本海に面した人口約4万6千人の街。かつては東洋一の木都と称されるほど木材加工が盛んだった地域で、市の中心部には往時の栄華を今に伝える大規模な木造建造物・旧料亭金勇が残っている。近年は次世代エネルギーを積極的に導入していることやJAXAの開発拠点があること、バスケットボールが盛んなことでも名をはせ、いろいろな顔をもつ街というイメージを広げている。思ったのは、東洋一の木都時代から今に至るまで、外との交流が多そう(仕事などで訪れる人が多そう)な産業が街に脈々と息づいていることを知ったから。得てしてそういう土地の歓楽街は元気だし、ホスピタリティのレベルも高い。そんな経験則から、私は期待を膨らませていった。チェックインを済ませた私が向かったのは、前日に予約を入れた酒どこべらぼうという名の店。この店を選んだ理由は毎週見ているテレビドラマのタイトルが同私が能代の居酒屋をのぞいてみたいと当日、妻を会場に送り届け、ホテルにしい。店内にいたスタッフは3名。白ひげをたくわえた仙人のような見た目の男性、調理場の中央に陣取りテキパキと仕事をこなす男性、ホールスタッフとおぼしき女性。3人は家族なのかな? うかがっていると、さらに店の奥から女性一人と男性一人が姿を現した。「お客さん、能代には旅行で?」5人の関係性に頭を巡らせていると、テキパキと仕事をこなしていた男性が声をかけてきた。「旅行といえば旅行ですが、住まいは秋田市です。別の場所で会合に参加している妻にくっついてきました」「予約の電話、ottoって会社の名前だと思った。まさか本人の名前とはね」「私はドイツ、妻は秋田の出身です。向こうで知り合い移住してきたんです」「ドイツ? いたんだよ。そして自分の弟はドイツ生まれ」そう言って仕事人が指さしたのは、ひげ仙人ともう一人の男性。「情報量と登場人物が多すぎて混乱しそと様子をうちのマスターもドイツに
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